感謝。
今日も忙しい一日が終わろうとしている。
昨晩は実験レポートと「環境問題解決」授業の課題に終われ、自分の部屋に唯一ある食糧である昆布をひたすら噛みながら、眠気に耐え無事提出期限に間に合わせる事が出来た。
つらい。
なかなか物事が上手くいかない。
英語が喋れていたつもりなのに、ディベートになると全く自分の言いたい事がいえない。
将来数年後の計画すら立てられていない。
親身に、いや、腹を割って?相談できる相手が周りにいない。
こんな状況にある自分が、ハリファックスに来て度々切に感じること。
それは、家族への感謝の気持ちです。
日本にいる時は当たり前の存在であり、時に老婆心にうっとうしく感じる時もある母親だけれど、
離れてみると、
家族も恋人もいない、
日本語で話す相手もいない地で、
寮の狭い部屋に悩む男独りというのは、
なかなかしんどいものなのだ。と。
ウィニペグにいた頃は、Carlson家がまるで家族のように毎週末ご飯に誘ってくれ、「ホームシックって何だ」と思っていたけれど、
今になって、はじめてその気持ちがわかります。
何事も、当たり前と思ってはいけない。
今自分がおかれている環境は、家族のサポート、深い理解なしには不可能でした。自分がもし「自分の」親だったら、あの時カナダに留学を許していただろうか。
父さん、母さん、本当にありがとう。
ハリファックスに来なければ、こんな気持ちになることは「出来なかった」。
自分の選択は正しかったと思える事が大事だと、思う。
環境問題にしても、貧困問題にしても、多くの現在世界で起きている人類が関わる問題の根っこの部分は何かといえば、
きっとこの
当たり前
という感覚によるものなのだと思う。
便利な暮らし、
毎日食べるものに困ることもなく、
命を誰かに奪われる恐怖におびえることもなく、
家に帰ってくれば母親がいて、
大して汚れてもいない身体を毎日綺麗な水で洗い流すことができて
ゴミは袋に入れて家の前に出しておけば収集車が回収しにきてくれる。
これ、全部当たり前ではないんですよ。
こうして今日一日、沢山の新しい知識を手に入れて、あたたかいベッドで眠れる事なんて、とても幸せなこと。
この世界に「必然」として存在しているものはそんなに多くないのかもしれません。
そんな風に考えれば、僕の抱えている悩みはどんなに幸せなものか。
ブログをいつも読んでくれている皆様、ありがとうございます!
色んな弱みを抱える管理人ですが、今までお世話になってきた多くの人達にいつの日か恩返し出来るよう、毎日精一杯いきています。
これからもよろしくお願いします。