読んだり弾いたり撮ったり考えたり@転職やる気地方公務員のブログ

海外大学卒→民(大企業)→民(中小企業)→公(地方公務員)とちょっと変わった?遍歴を持つ公務員のブログです。

あの被爆ピアノが、今も旅を続けている...

日本から離れて生活していると逆に日本で何が起こっているのかが常に気になり、ほぼ毎日Web上の大手新聞社のニュースをチェックしている。

あまり視点が偏らないように、毎日同じ新聞社のものでなく頻繁にブラウズするニュースサイトを替えたり、同じ記事でも各社の違う切り口の視点から情報を手に入れることが出来るのはなかなか便利だ。

ただ、実際に刷られて自宅へ届く新聞の価値はやはり大きいと思う。


前置きはさて置き、

たった今の朝日新聞のオンラインニュースのヘッドラインに被爆ピアノの記事が出ていたのでちょっと鳥肌が立った。

被爆ピアノ、平和の船出へ演奏 東京・第五福竜丸展示館

1954年、米国によるビキニ水爆実験で被曝(ひばく)した「第五福竜丸」が展示されている東京都江東区の「都立第五福竜丸展示館」で31日、広島に投下された原爆で被害を受けたアップライトピアノによるコンサートが開かれた。

 「被爆ピアノ」は広島市ピアノ調律師、矢川光則さん(57)が修復した4台のうちの一つで、各地で演奏会が開かれている。演奏を聴いた東京都港区の汐谷恵美子さん(66)が「この大きな船とピアノの出会いによって、新たに平和を訴える力が生まれてくるのではないか」と企画、同館の協力を得て実現した。

 矢川さんによると、今年9月に「被爆ピアノ」は米国に運ばれ、同時多発テロがあったニューヨークでチャリティーコンサートを開く計画が進められている。

実はこの被爆ピアノ、僕にはつながりがある。

高校生の時、当時愛知県で開催された愛・地球博(愛知万博)に僕は大きく関わっていた。

初めて市民参加というテーマを表に出した今回の万博。そんな中で僕は、市民団体や非営利組織の取り組みを紹介するイベントのオープニング4大プロジェクトのひとつ、「平和」をテーマとしたグループのリーダーとして、日本の高校生として、だからこそできる世界平和へのアクションを模索した。

ちょうどその年は広島・長崎への原爆投下から60周年。長崎市核兵器廃絶を求めて署名活動をする高校生1万人署名活動というグループとの出会い等を通じて巡り会うことが出来たのが、調律師の矢川さんとこの被爆ピアノだった。

イベント当日にはシークレットゲストとしてゆずの北川さんもステージに登場して下さり、全国47都道府県から集まってくれた高校生ピースメッセンジャーと名づけた署名リーダー達と共に被爆ピアノを演奏し、合唱した。(そういえばあの時が、ステージの上でギターを演奏する初めての経験だった。)

万博が終わってからもメンバーのある女の子は熱心に活動を続け、東京出身・在住にも関わらず集められた平和署名を高校生平和大使として選ばれた。

そして、集められた沢山の署名をスイスのジュネーブ国連本部へ提出するという、大役を果たしてくれた。

その後も、昨年は井の頭公園での被爆ピアノを使ってのミニコンサートを企画したり、本当に真摯に、純粋に頑張っている彼女を今も僕は尊敬している。

僕はその後カナダへの留学という道を選択し、環境問題への強い関心と危機感から環境科学という学問を専攻するに至った。

世界平和も環境問題も、地球上の誰もが関わりを持ち時間軸も長い、そして政治も大きく関わるまさに「人類史上最大の難題」である、と思う。

当時高校生だった僕たちは、社会の矛盾や反発を目の当たりにしながらもがむしゃらに平和署名という名の元に力尽きるまで走り続けていた。

その気持ちは今でも変わらないけれど、こうして日本の外に出て肌の色も文化も宗教も異なる人達と毎日過ごしていると、いかにどちらの問題も根が深いものであるか、身に染みるほど目の当たりにできる。

でも、歴史を変えていけるチャンスは誰にも与えられていることは確かで、ひとりひとりに役割もきっとあるはず。

僕はきっと派手でなくとも少しずつ、人との出会いを大切にしながら地球に感謝して生きていくことがその役割を果たすためのまず第一歩だと思っている。

いつか、夢がかなうその日まで。。。