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【溶けゆく日本人】向き合わぬ親子 親指だけの“会話”(産経新聞)

親子の間で「気兼ね」とも言える人間関係が広がる。「愛情」や「優しさ」ゆえの気配りや、「親離れ」「子離れ」とは次元の異なる、踏み込むことを恐れる関係だ。

 「なんでそんな大事なことを親に言わないのだろうか」-。立命館大学大学院の団士郎教授(家族心理学)は学生の告白に耳を疑った。

 自身が重病であることを親にひた隠しにしているという。日常会話もあり、一見“仲の良い”普通の親子だが、手術を要するほどの病気を抱えていることを告げていない。

 理由を尋ねた。答えは「そんなことを言ったら親がパニックになるから」だった。「病気を隠すほうがよほど事態の深刻化を招くはずだが…」。団教授は首をひねる。同種の“気遣い”から、体調不良で連日のように保健室に通っていることを「親に報告しないで」と教師に懇願する中学生もいるという。「(うまくいっている親子間に)波風を立てたくないという思いなのでしょう」と団教授は語った。

 「何年も会話がない。子供が部屋の中で何をやっているかわからない」-。関東地方で対人関係の相談業務に携わる男性は、こうした告白に驚かなくなった。子供の部屋に入れない親は珍しくない。「なぜ部屋に入らないのかと問うと、『子供にもプライバシーがあるから』などと理由をつけて尻込みする」という。向き合って話せば、摩擦が生じ、お互い嫌な気分にもなる。「波風を立たせまいとする親子関係が多くなっているのだろう」-。男性はそうした答えに行き着いた。

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 摩擦を回避するために便利な道具なのだろう。近年、「親子関係」に大きな影響を与えているのが携帯電話の存在だ。

 「昨日はお母さんが悪かった」-。神奈川県の主婦(45)は、進路について口論になったことを中学生の長男に詫(わ)びた。口からではなく、“親指”で。携帯電話からメールで送信したのだ。「電話だと、手が離せない用事をしていて迷惑をかけるかもしれない。メールだといつでも読めるだろうから気が楽」。ここでも“向き合わない”“語り合わない”方がいいだろうという親なりの配慮が垣間見える。

 今やそんな携帯メールを通じての親子のコミュニケーションが、対面会話に迫ろうとすらしている。情報通信総合研究所(東京)が昨年末、家族内で「最も利用するコミュニケーション方法」を聞いたところ、トップは「直接の会話」で24%だったが、2位以下に僅差(きんさ)で、「携帯電話で会話」(21%)、「携帯電話でメール」(20%)と続いた。

 子供に携帯電話を持たせている親を取材すると、「メールを使うことで子供との距離が以前より近くなったように感じる」(東京都の主婦)、「メールで、どこで誰と遊んでいるかすぐに把握できるようになった」(神奈川県の主婦)などの肯定的な声が返ってくる。「携帯電話を介して子供と向かい合っている」という安心感があるようだ。

 しかし、「メールは連絡を密にする効果はあるが、それは決してコミュニケーションを深める効果はない」と指摘するのは奈良女子大学の川上範夫教授(臨床心理学)。

 こんな母親の事例がある。「○○ちゃんと遊んでいる」と中学生の長女からメール着信があった。ところが夕方、街でばったり出くわした娘の横には同年代とは思えない“いまどき風”の複数の男性がいた。「メールをもらい、それで安心していた部分があった」と母親は唇をかむ。

 だが携帯電話をチェックして交友関係を把握したり、娘を問いつめようとは考えていない。理由は「娘に悪いと思うから」だ。ここでも“遠慮”が顔を出した。

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 なぜ気兼ねし合うような“不自然”な親子関係が出来上がるのだろうか。「昔に比べて、親子関係が対等になりつつある」と指摘するのは、家族心理学が専門の武蔵野大学専任講師、生田倫子さん。「縦」の関係なら踏み込める領域が、「横」のつながりになることで、関係を壊さないような遠慮が生じる。いわば友人関係の延長だ。「家族内では、ある程度のヒエラルキーがあった方が子供に安心感を与えるのだが…」と生田さん。

 現状を追認していけば、食卓をともにする親子が携帯電話を介して賑(にぎ)やかに“会話をする”、そんな寒々しい光景さえ想像できてしまう。

 立命館大学の団教授は言う。

 「聞こえのよいことを報告し合うだけの家族は『家族』とはいえない。けんかをしても、言い争っても縁が切れない、それが親子のいいところ。『語り合う』-親子はそれが大切だと思う」 


※家庭における父親と子供のコミュニケーション不足が深刻だ。内閣府が3月に発表した「低年齢少年の生活と意識に関する調査」(児童・生徒2143人と、その保護者2734人対象)によると、平日に子供の相手をしている平均時間を尋ねたところ、「ほとんどない」と回答した父親は23.3%にのぼり、前回(平成12年)調査時より9.2ポイント増加した。子供の悩みについて「知っている」と答えた父親も3.6%(母親は10.4%)にとどまるなど、父子関係が希薄化している様子がうかがえる。

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「親指の会話」。携帯電話会社のキャッチコピーにばっちり使えそうである。

携帯電話の是非は、議論するときりがないくらいの社会問題である。

子供に何歳の時点で携帯電話を持たせるか。親に取ってはなかなか悩む決断に違いない。自分の家族は僕も妹も高校生になってからだった。(自分自身は携帯電話を持ちたくなかった珍しいタイプだったが....高校で運動系の部活に入り、連絡事項がさすがに今時固定電話の連絡網というのは残念ながら存在せず、高1で購入した。)

親子間だけでの問題ではない。

友人とレストランなので食事をしている時などにしょっちゅう携帯電話で相手にメールを打たれるのは、一体自分と話をしているのかどうか?というような不思議な気分になる時もある。少なくとも気持ちのいいことではない。

友達どうしでは気を遣っても、家の中ではやはり携帯のメールに没頭しがちな人も多いのは事実だと思う。さすがに食事中は少ないだろうが、親が子供に何か真剣な話をしようとしても子供の携帯の着信音で邪魔をされてしまったり。

自分が親になったら子供には出来るだけ高校までは携帯は持ってほしくないかな。携帯のない人生も知っておいてほしいと思うから。

携帯があれば時間の待ち合わせなどの感覚も自然とルーズになりがち。もし遅れてもメールひとつで今の場所を伝えられる。お互い電話を持ってなかったら15分遅れただけで大変である。。。。

ここウィニペグでも携帯はものすごい勢いで普及している。だが日本のようにメールサービスの頻度はそこまで高くないだろう。

親子との対話も、せめて通話をして話し合えるくらいの関係は最低限持っているべきだと思う。それでもとてもおかしい話だけれど。

親が子供を心配して携帯を持たせたがる気持ちは分からなくはないけれど、子供に持たせる事によって逆に子供を知らなかった世界へ導いてしまう可能性があることも親が把握すべきだ。

いつも友達の家に電話して、「○○くんいますか?」とその子のお母さんに変わってもらって遊ぶ約束をした小学生の頃がたまらなく懐かしい....。

記事のリンクはこちら→http://www.sankei.co.jp/seikatsu/seikatsu/070604/skt070604000.htm