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海外大学卒→民(大企業)→民(中小企業)→公(地方公務員)とちょっと変わった?遍歴を持つ公務員のブログです。

レバノンとは?

今日のニュースを見て少し気になったので調べてみました。(Wikipediaを参考に)


レバノン共和国(レバノンきょうわこく)、通称レバノンは、西アジア・中東の国。首都はベイルート。シリアの南、イスラエルの北に接し、西は地中海に面している。

歴史

 古代はフェニキア人の故地であった。この地からフェニキア人は地中海を渡り植民地を形成した。その後勢力が弱体化し、アッシリア帝国に飲み込まれた。その後民族としてのフェニキア人は消滅したと言われている。古代末期にはローマ帝国に征服され、中世にはイスラム世界に組み込まれた。

レバノンは歴史的にはシリア地方の一部であったが、山岳地帯は西アジア地域の宗教的マイノリティの避難場所となり、キリスト教のマロン派、イスラム教のドルーズ派レバノン山地に移住して、オスマン帝国からも自治を認められて独自の共同体を維持してきた。19世紀頃からマロン派に影響力を持つカトリック教会を通じてヨーロッパ諸国の影響力が浸透し、レバノンは地域的なまとまりを形成し始める一方、宗派の枠を越えたアラブ民族主義の中心地ともなった。

第一次世界大戦後、フランスの委任統治下に入り、キリスト教徒が多くフランスにとって統治しやすかったレバノン山地はシリアから切り離されて、現在のレバノンの領域にあたるフランス委任統治レバノンとなった。この結果、レバノンはこの地域に歴史的に根付いたマロン派、東方正教会と、カトリックプロテスタントを合計したキリスト教徒の割合が35%を越え、シーア派スンナ派などの他宗派に優越するようになった。現在でもフランスとの緊密な関係を維持している。

第二次世界大戦中にレバノンは独立を達成し、金融・観光などの分野で国際市場に進出して経済を急成長させたが、PLO流入によって微妙な宗教宗派間のバランスが崩れ、1975~76年にかけて内戦が発生した(レバノン内戦)。隣国シリアの軍が平和維持軍として進駐したが、1978年にはイスラエル軍が侵攻して混乱に拍車をかけ、各宗教宗派の武装勢力が群雄割拠する乱世となった。混乱の中で、周辺各国や米国や欧州、ソ連など大国の思惑も入り乱れて、内戦終結後も断続的に紛争が続いたため、国土は非常に荒廃した。また、シリアやイスラム革命を遂げたイランの支援を受けたヒズボラなど過激派が勢力を伸ばした。

1982年、レバノン武装勢力から攻撃を受けたとしてイスラエル軍は南部から越境して再侵攻、西ベイルートを占領した(レバノン戦争・ガリラヤの平和作戦)。イスラエルPLO追放後に撤収したが、南部国境地帯には親イスラエルの勢力を配し、半占領下に置いた。この混乱を収めるために米英仏などの多国籍軍が進駐したが、イスラム勢力の自爆攻撃によって多数の兵士を失い、一部でシリア軍と米軍の戦闘に発展した。結局、多国籍軍は数年で撤収し、レバノン介入の困難さを世界へ示すことになった。

1990年にシリア軍が再侵攻、紛争を鎮圧し、シリアの実質的支配下に置かれた。シリアの駐留は一応レバノンに安定をもたらしたものの、ヒズボラに対する援助やテロの容認など、国際的な批判をうけた。シリアが撤退するまでの約15年間は「パックス・シリアナ(シリアによる平和)」とも呼ばれる。現在も政府高官を含めシリアの影響は強い。

1996年にイスラエル国内で連続爆弾テロが発生し、ヒズボラの犯行としたイスラエル軍レバノン南部を空襲した(怒りのブドウ作戦)。この時、レバノンで難民救援活動を行っていた国際連合フィジー軍のキャンプが集中砲撃され、イスラエルは非難された。イスラエル軍は2000年に南部から撤収するが、空白地帯に素早くヒズボラが展開し、イスラエルに対する攻撃を行っている。

2005年2月14日にレバノン経済を立て直したラフィーク・ハリーリー前首相が爆弾テロにより暗殺、政情は悪化し、政府と国民との軋轢も拡大した。その要因となったシリア軍のレバノン駐留に対し、国際世論も同調し、シリア軍撤退に向けての動きも強まり、シリア軍は同年4月に撤退した。

2006年7月にヒズボライスラエル兵士2名を拉致、イスラエル軍は報復として7月12日に南部の発電所などを空爆した。続いて空爆は全土に拡大されてラフィク・ハリリ国際空港など公共施設が被災、ベイルート海上封鎖された。7月22日には地上軍が侵攻し、南部の2村が占領された。7月27日、国連レバノン暫定軍の施設が空爆され、国連職員4人が死亡した。

国民

全人口の約95パーセントがアラブ人でアラビア語を話す。かつてフランスの影響を強く受けた関係から、現在でもフランス語が広く通用する。

国民の約30%がキリスト教、約70%がイスラム教の信者。この場合の「キリスト教」とは主にマロン派だが、東方正教会プロテスタントカトリックも少数ながら含まれている。また、「イスラム教」にはスンナ派シーア派アラウィー派、ドルーズ教などを含むが、アラウィー派とドルーズ教が「イスラム教」の枠に入るものかどうかは議論が分かれるところである。少数であるがユダヤ教徒議席も設けられている。


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